アンソロジー

Anthology

Life story

生後6ヶ月の娘と見たサハリン-I・N(妻の目線から)

生後6ヶ月の娘と見たサハリン

 青々とした海、雄大な山肌、アニワ湾に流れ込む幾筋もの蛇行した川、土色の河口。

 こんこんと眠る生後半年の娘を腕に抱えながら、窓に額を貼り付けるようにして、久しぶりに訪れるロシアの風景を夢中で眺めていた。2025年9月上旬、まもなくユジノサハリンスクの空港に到着する機内でのことだ。

機内から見下ろすサハリン。羽田空港を出発してからここまでが長かった=2025年9月

 空港では、4ヶ月近く会っていなかった夫が待っている。一秒でも早く会いたくて、到着のアナウンスが流れるや否や、いそいそと哺乳瓶や娘のおやつ、オーロラ航空が提供してくれた離乳食をカバンにまとめた。その間、近くの朝鮮系ロシア人のご家族が、娘をあやしてくれていた。

 思えば、ロシア人のお節介なほどの親切さに助けられた旅路であった。夕飯時に羽田空港から北京大興空港に到着し、ラウンジで娘を寝かせ、7時間の乗り換え時間をなんとかやり過ごしたと思ったら、ユジノ行きの便はさらに3時間も遅延。深夜に覚醒した娘の世話をしていると、周囲のロシア人が、着替えやミルクの授乳、さらには機内へのベビーカー運搬も手伝ってくれた。「ユジノはとっても寒い。赤ちゃんの靴下はないの?靴下がないと寒くてだめだよ」と、自分より少し年上と思しき女性が眉根に皺を寄せた時、「そうだ、ロシア人は殊更に防寒に厳しいのだった」と思い出した。

 ロシアを訪ねるのも、2016年2月のモスクワ以来。あれから国際情勢も大きく変化し、入国審査はかなり不安に思っていた。だが、他の乗客たちが、「赤ちゃん連れだから」と優先的にレーンに並ばせてくれ、審査の間もずっと娘に笑顔を投げかけてくれて、ひとまず安堵した。審査も厳格になっているのではないかと心配していたが、大きなザック、ベビーカー、肩掛けカバン、抱っこ紐に入れた子どもを抱え、汗だくだった私に配慮してくれたのか、特段の質問もなく、ものの数分で通過することができた。

 さて、夫と落ち合い、夫の会社のロシア人アシスタント・Mさんに「ようこそユジノへ!ウラー!」と歓待を受けた。Mさんなしでは、この滞在は不可能だっただろう。

 本来、私は夫の勤務に帯同して、数年間ユジノに滞在するつもりだった。しかし、妊娠が判明。夫は一人でロシアに渡り、私は日本に残り、妊娠から出産、育児を一人で請け負うことになった。ユジノで出産、育児ができないかと模索したが、大してロシア語もできず、家族もいない状態で初産を迎えるのは避けた方がいい。それが、夫婦で出した結論だった。

 しかし、やはりシングルマザー同然の生活は、孤独で苦しい。誰にも委ねられない重たい養育の責任を、夫と分かち合いたかった。限界に達したとき、夫が「夏のうちだけユジノに来ないか」と提案した。ちょうど娘も半年を迎え、ワクチンもひとしきり打ち終わった。行かない手はない。

 そうして、ユジノ行きの準備が始まったが、ベビーベッドやら、ベビーチェアやら、ベビーサークルやら、用意すべき赤ちゃん用品は枚挙にいとまがない。

渡航前にMさんや夫に準備してもらった子ども用シャンプーや水、粉ミルク。ユジノサハリンスクでは日本製品も売っている

 そこで、Mさんは、ほぼ必要なものを用意してくれた。Mさんは幼児の子どもたちがおり、まさに育児真っ最中の先輩ママだ。微に入り細に入り--おすすめのミルクの種類から、おむつ替えができる場所まで--私たち夫婦に助言してくれた。

Mさんに準備してもらったベビーサークルの横で遊ぶ娘=2025年9月

 ユジノは、身構えていたのが拍子抜けするほど暮らしやすかった。パベーダ通りやガガーリン公園を見れば、ベビーカーを引いて散歩し、乳幼児を外気浴させている母親たちが並んで歩いていた。ガガーリン公園も多くの子どもで賑わい、新宿御苑よろしく、おむつ替えができるトイレも備えられていたし、子ども用スペースが設えてあるレストランもあった。

子ども用の遊ぶスペースがあるユジノサハリンスクのレストラン=2025年9月
ガガーリン公園。市の発祥を祝う「街の日」は様々な催しが開かれていた=2025年9月
ガガーリン公園で=2025年9月

   

   

(ユジノサハリンスク市内のジェーツキー・ミールで売られている離乳食=2025年9月)

 

 ブーブル・グム(子ども用品店)に行けば、日本製のおむつが手に入り、ジェツキー・ミール(同)では、おもちゃやぬいぐるみなどが所ぜましと置いてある。必要なものが売っていなかったら‥と心配し、おむつもミルクも多めに持参したが、杞憂に終わった。

 混雑した東京の地下鉄で、頭を下げ、「すみません、すみません」と呟きながら乗降するような、赤ちゃん連れを後ろめたく思う緊張感もなかった。むしろ、無条件で愛情を向ける対象であるかのように、笑顔を向けてもらったり、あやしてもらったりと、ありがたい思い出ばかりが蘇る。

 一方で、離乳食については苦労した。日本で販売されているレトルトの離乳食は、数えきれないほど種類が豊富だ。例えば「豆乳ドリア」だとか、「サバのトマトカレー」とか、大人が聞いても美味しそうなものばかり。さらに、一食用として80gピッタリの量がパウチに入っているのも使いやすい。

 もちろんブーブル・グムにも「フルッタ・ニャーニャ」というロシアブランドの離乳食がたくさん置いてあるのだが、基本的には、野菜や肉を裏漉ししたものが瓶詰めされていて、穀物もカーシャのみだ。カーシャは甘い味付けがされていて、娘は嫌だったらしく、なかなか食べなかった。日本からフリーズドライのお粥や野菜をスーツケースいっぱいに詰めておいて良かったと、胸を撫で下ろした。

 野菜や果物も日本のスーパーよりは種類が少なく、おやつとして食べさせているベビー用ヨーグルトや、お米だけでできたお煎餅、みかんなども当然ない。すぐに潰して食べさせられるので、好んで与えている小さな豆腐もない。もし、ユジノで子育てをしていたら、離乳食作りで煮詰まっていただろう。

 こうして3週間が矢のように過ぎ去り、とうとう日本に帰国する日となった。近所のスーパーの店員さんの顔を覚え、どの入り口から入ればスロープになっていて、ベビーカーと共に入店しやすいかも分かるようになったのに。夫の帰宅を待ちきれず、夫の職場まで迎えに行く道も、ヤンデックスの地図アプリに頼らずとも辿れるようになったのに。言いようのない寂しさに襲われたが、「また近いうちに来よう」と思えたことは、大きな収穫だった。

(北京から羽田への機内で=2025年9月)

 乳児を連れての旅路は不便で、「うまくできるだろうか」と緊張を伴うものではあった。だが、その場その場で出会ったロシア人たちの手助けを得て、なんとか乗り切ることができた。親切は不便を補って余りある。赤ちゃん連れが迷惑な存在ではなく、むしろ歓迎してケアをする対象なのだ、という空気感には幾度となく救われた。

 また、街に子どもが溢れているだけあり、子ども用品で手に入れられないものはほぼない。

 小さい子どもを連れての渡航は問題ない。その手応えを得られて、「日本で行き詰まったら、ロシアに来ればいい」という突破口を確保できたのは、精神的に疲弊しきっていた私を癒してくれた。

 Mさん曰く、「ロシア人の子どもでなければ、厳しい冬に慣れていないので、体調を崩しやすい。冬の滞在はよしたほうがいい」そう。雪が解け、春が到来したら、少し成長した娘を連れて、また訪ねるつもりだ。

(夫編に続く)