サハリン関わる人々から聞いたお話を掲載しています。ルーツ、世代、国籍、言葉、民族 、、、。 さまざまな観点からサハリンという場所を知っていくための入り口となるでしょう。
Life story
娘へ。サハリンをまた訪れて。-I・Y(夫) 2024年10月からユジノサハリンスクで働いている。 日ロ関係の悪化に伴い、サハリンでは日本人駐在員がかつてより
生後6ヶ月の娘と見たサハリン 青々とした海、雄大な山肌、アニワ湾に流れ込む幾筋もの蛇行した川、土色の河口。 こんこんと眠る生後半年の娘を腕に抱えながら、窓に
1944年、内淵(現ブイコフ)で生まれる。2000年永住帰国、稚内在住。 金川民子、キム・ミンジャ(김민자)、タチアーナ(Татьяна) 私は新しいのにチャレ
Nさん(仮名) Nさんは1942年、日本の長野県で日本人の両親のもとに生まれた。しかし、幼くして母を亡くし、2歳の時に叔母(母の妹)とともに樺太へ渡る。インタ
History
樺太の古い写真を持ってサハリンへ 日本がサハリン南部を「樺太」と呼びながら統治していた時代に建設されたさまざまな施設が、今もなお各地に残っている。これらの施設は
加賀谷瞳ハン・ウォル・スン Хан Вол Сун オリガ、オーリャ マカロフで生まれ育つ 加賀谷瞳の母は1935年に樺太の大泊(現コルサコフ)で生まれた。両
大段春子 1947年、ブイコフ(旧、内淵)で生まれる。2005年永住帰国、東京都在住。大段春子 김춘자(キムチュンジャ) Люба(リューバ) 「仲良くなければ
淡中詔子(たんなか・あきこ) 1944年、塔路(シャチホルクス)で生まれる。2000年永住帰国、函館在中詔子(アキコ)소자(ソジャ)、Соня(ソーニャ)。 そ
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